声楽家の音に対する感覚は大変優れていると私は思います。
以前、コンサートホールや劇場でピアノの調律をしている調律師の方が、「声楽家はピアニストが気づかないほんの少しの音の歪みに気づいて、指摘をする」ということを言っていたことを私は思い起こします。
確か、イタリアで研鑽している時も、声楽の先生がピアノ伴奏の先生に非常に細かい音の歪みについて指摘していたことを思い出します。ただ、それらのピアニストの先生は指摘されても気づかないこともありました。もちろんそれぞれの先生たちは一流の方なのですが…。
なぜ声楽家は音の微妙な歪みに気づくことができるのかを考えると、それは生身の体を楽器に作り変えていくからだと私は思います。つまり、最初から自分の手によって、非常に美しく調律された上質な楽器を造る作業から始まるからです。また、生身の体という常に状態の変化する楽器をいつも正確にコントロールする必要もあるからです。
例えば、ピアニストは楽器を造る作業がないと私は考えます。簡単に言ってしまえば、完璧に完成された楽器を美しく演奏するところからスタートすればいいのです。もちろん指や腕などの体をピアノを演奏するための精密機械に作り変えることはします。ただ、一から音を作り出す作業はありません。
ピアノ以外の楽器の演奏者も声楽家ほど多くの作業はしていないように私は感じています。確かに吹奏楽器や弦楽器なども音を作る作業はあるのですが、それを可能にしてくれる、またそれが目的の楽器が存在しています。
声楽家の楽器は生身の体であり、それは最初から演奏するために開発をされたものではありません。
声楽家は一流の楽器製造職人・調律師・演奏者が一緒になっている存在なのだと私は考えます。
ゆえに、音楽家にとって最も重要な音に対する感覚が鋭敏になるのだと感じています。