今日は、基礎をしっかりと修め、取り組んでいる1つの事柄が完遂するまで研究し続けるという姿勢についてお話しします。
「勉強しても分からない、やってもできない」と言う人物がいますが、それは勉強もしていないし、物事をしっかりとやっていないということです。なぜなら、結果として理解できていない状態にあるからです。そのように考える前に自分がその物事を理解するまで、できるようになるまでしっかりと努力をしたか、また結果が得られていないということは何もしていないと同じ事であると考えなくてはならないと思います。
それに基礎的なことも全くできていないと考えなくてはなりません。物事というのは90パーセントが基礎で、7~8パーセントが応用で、3~2パーセントが発展だと私は思います。つまり、この基礎をすべてマスターできたのかも考えなくてはなりません。
また、「勉強しても理解できない」ということを言う人物は指導者の責任によくしようとしますが、まず学問上の責任は、50パーセントが指導者の責任で、あとの50パーセントは学習者の責任なのです。つまり、学習者自身が50パーセントの責任を十分に果たしているかと考えなくてはいけません。余談ですが、私がイタリアでイタリア人の先生もとで研鑽をし始めたころ、イタリア人の先生に「学問は先生の責任は50パーセントで、あとの50パーセントは学ぶ君の責任だよ。私は先生としてこの50パーセントの責任をしっかり果たすから、君も君の50パーセントの責任をしっかり果たしなさい。」と言われたことをよく覚えています。私は、それはもっともな意見だと思っています。
学問をするときは、自分なりに努力したというような曖昧な基準で判断し、何も努力していないのに自分自身のことを優秀と勘違いする変な自信を持つ前に、今まで述べた姿勢で学問に望むべきだと私は感じています。