前回、J-popは音楽様式の見地から考えるとクラシック音楽である、そしてクラシック音楽の分野で、作曲家が新しい音楽様式を作りあげて作曲する現代曲が現代音楽であると書きました。そうすると日本のポピュラー音楽(歌謡曲など)の作曲家は作曲家とは考えにくいと私は感じます。なぜなら、作曲家というのは常に新しい音楽様式を考え、作り上げ、楽器編成などの演奏スタイルやそれぞれの楽器の音楽も考える人たちだからです。つまり常に音楽を研究し、音楽スタイルを進化させるのが作曲家であり、音楽家と私は考えます。17世紀から19世紀に完成された音楽スタイルだけを使用して作曲をしているのは、音楽家としてあまり感心はできません。
演奏家も日々、音楽を研究し進化させています。例えば、声楽の分野では伝説のテノール、エンリコ・カルーソーとルチアーノ・パヴァロッティでは歌唱様式が進化しています。もちろん両者ともイタリアのベル・カント唱法の名手です。つまり時代に合わせて、この最上のイタリアのベル・カント唱法に良い新しいものを取り入れているのです。
このように音楽家というのは常に研究・研鑽をし、音楽の発展のために尽力している人物のことだと思います。
ある大学教授が話しているのですが、ある音楽分野の学会で、作曲を1つもしないし、また作曲する能力もなく、ただ論文を書いて、自分は作曲家だと名乗っている人物がいると語っています。また、このような人物が数人ではなく、音楽の中枢には何人もいると語っています。つまり本業ができないのに音楽家と名乗る人物がいるということです。
さらに素人の中には、「私は学生時代に合唱部・吹奏楽部にいたから音楽家だ、音楽を知っている」や「プロの音楽家と共演をしたから、音楽家だ」という類のことを言う人もいます。音楽を学んでいた・演奏をしたという行為は大変嬉しく感じますが、果たして本当にそれだけで音楽が理解できるのでしょうか、音楽は非常に奥深いものです。例えば、“Good morning”と一言を話せるから英語の通訳者なのでしょうか、掛け算だけができるから数学者なのでしょうか、家庭料理を上手に作れるからプロの料理人なのでしょうか、それらはおそらく違うと思います。それぞれの分野のプロは血のにじむような思いで、弛みない努力をしています。
特に音楽を取り巻く環境(音楽に関する事業の運営など)や音楽の世界の中枢に、音楽を平然と侮辱をする人物たちが多いように感じます。例えば、上記で述べたように作曲ができないのに、作曲家と名乗るのは音楽を心から愛している人の行為なのでしょうか、また、人の褌で相撲を取っている人たちもです。
音楽の世界は音楽に関するプロが運営していくべきであり、音楽に携わる人物は音楽を心から愛し、謙虚で、常に研究・研鑽に励む者であってほしいと私は思います。