それでは、前回にひき続き、もう1つのお話を紹介します。
1600年代のイタリアで、ある権勢家が、名高い音楽家で作曲家のアレッサンドロ・ストゥラデッラに恨みを抱き、命を奪ってその怨念を晴らそうと、2人の刺客をローマに送りこんだ。都にやってきた暗殺者たちは、すぐに哀れなアレッサンドロ・ストゥラデッラの居所を尋ね、折しも目当てが、自ら作曲した作品を歌うために聖ジョヴァンニ・ラテラーノ教会堂に居ることを突き止めた。追いつめ探し出し残忍無比な行為をしとげようと、両人はすぐに大聖堂に駆け付けたのだが、そこでストゥラデッラはいつもどおり甘く、優しく歌っていて、2人の刺客は心ならずも彼の歌うメロディーに胸を貫かれ、心を動かされて、その虜になってしまったのだ。そこで彼らは金銭と流血の執着を捨て、ある至福の瞬間にあらゆる人々へ徳をもたらす宝を人々と分かち合い、こんな残忍な陰謀に意を通じたことを悔いたのであった。このような稀な音楽家の貴重な生涯を害そうとしたことを恥じた彼らは、最高の敬意を表し、実際にストゥラデッラに仕えることを申し出た。勤めを終えた後、彼ら2人はなぜローマに来たのか打ち明け、差し向けた者の憎しみを告げて、迫害と復讐から救われたのであった。
2回にわたって、音楽の優れた力を紹介してきました。
私は音楽は素晴らしいものだなと思うと同時に、この話にはある条件が必要だとも考えました。
それは、もちろん音楽家が優れていること。話の中に出てくる音楽家は優れている音楽家です。また、音楽を聴く人がその音楽家やその音楽が素晴らしいと判断できる知識・教養があること。アムラッテ4世にしろ、2人の刺客にしろ、彼らが優れた音楽家や素晴らしい音楽を理解できるだけの知識・教養がありました。 この双方の条件がそろって初めてこの話が成立するのです。
この2つの話を通して、音楽の崇高さを感じると同時に、音楽の崇高な精神というのは、音楽を奏する者や聴衆などの音楽に関わる者の高い見識と教養の上に築き上げられるのだと改めて考えさせられました。
それでは、ci vediamo!!😉!!