最近、幼稚園の先生や保育士の音楽教育の粗雑な考え方が目に余ります。
例えば、ある幼稚園の教員が生徒たちのために歌とピアノ伴奏を移調していた時、ベテランの先生が「ピアノ伴奏を移調さえすれば、あとは生徒たちが勝手に歌う」と、移調など何も考えずにすればいいみたいなことを吐き捨てるように言っていたということを聞き、私は愚かな教員がいるものだと残念に思いました。
この類の移調をする時、その意味・必要性を知らなくてはなりません。
まず第一に、生徒たちの喉を守るためです。喉というのは世界に一つしかない楽器であり、一度不具合が生じてしまうと元には戻りません。ですから、喉の健康を守りつつ、声楽作品をスムーズに歌えることをしっかりと考えなくてはなりません。
第二に、音楽をより親しみやすくするためです。調性が生徒たちの喉にあわなく歌うことが困難であれば、その声楽作品について考えながら歌うことはできません。ですから、作品について様々な、豊かなイメージできるようにしなくてはなりません。
リトミックや発声などについても、あまり研究をしていないと感じてしまうのです。
ピアノの弾けない、もしくは音楽教育にあまり関心のない先生は、太鼓をたたいてリズム運動をしたり、お遊戯のようなことをしたりするばかりのリトミックを安易にしようとする傾向にあります。太鼓をたたいてリズム運動をしたり、お遊戯のようなことをしたりするばかりがリトミックではないのです。本来は音・音楽を使用して、子どもたちの音楽能力はもちろん、ひいては語学のリスニング・スピーキングにつながる能力を引き出すのがリトミックの役割でもあるのです。また、ときどき稚拙な考え方なのが自分流やその幼稚園風のリトミックと言う人たちもいますが。これは非常に悪辣に感じてしまいます。
歌をただ大きく口を開けて、元気よくの意味を履き違えて怒鳴るように歌わせたりするのも大きな間違えです。音楽に親しみながら楽しむのは、ただ大きく口を開けて怒鳴るように歌ったりすることでありません。それに指導する人に声楽の正しい発声の知識と実践力がなければ、生徒たちの喉が音楽を親しむ前に病気になってしまいます。
私の母校の大学の教授が、あるとき「本来、幼い子供たちの音楽教育は専門的な知識と様々な分野の教養があり、それを踏まえて実践できる人物が指導に当たるべきです」と言っていたことを思い出します。
私はこの考え方は正しいと思いますし、幼い時期に関わる先生方が一番の音楽の理解者であってほしいと常に考えています。
音楽教育…

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