最近、音楽教育に関わる人たちに関して、「開いた口が塞がらない」というようなことを耳にします。
先日、私のピアノの生徒さんが学校の合唱の伴奏のオーディションを受けたのですが、その際に「テンポが一定でない、歌の伴奏はテンポが最初から最後まで変わらずに一定でなければならない」と学校の音楽教員から言われたそうです。私はこの言葉を聞いたときに、その学校の音楽教員は伴奏に関して全く知識がなく、音楽という学問を正しく理解していない人物であると感じました。私は実際にそのときの生徒さんの演奏を聞いていませんが、生徒さんがオーディションの際に演奏した曲は私のレッスンの時にも聞いています。私の知る限りでは、その生徒さんの演奏は音楽のルールに従い、音楽・感情表現豊かに演奏をしています。またテンポは海の波のように一定です。音楽におけるテンポは常に流動性があり、海の波のような統一感があることが望ましいのです。
声楽(歌)の伴奏者はピアニスト、指揮者、声楽家、言語学者と様々な顔を持ち合わせています。なぜなら歌い手にただ追随するのではなく、歌い手と声楽作品を音楽・感情表現など様々な面で助け、リードし、協演・競演していくためです。そのためには、まずは歌い手と伴奏者が言葉と音楽から感じる自由なイメージを発想しあうのです。そして、それを演奏をとおして、お互いのイメージを徐々に統一していくのです。最終的には、歌い手と伴奏者の心から溢れる感情・イメージを共有・共鳴をさせ、1つの音楽・感情表現を作り上げるのです。つまり、どちらかに依存したり、お互いに依存しあったりするのではなく、あくまでもお互いの考える音楽を提示し、1つの音楽を創造していくのです。ですので、伴奏者も歌い手もテンポを最初から最後まで全く変えずに演奏するようなことをしてはならないのです。
音楽は多岐にわたる学問を研究し、心から溢れる思い・感情を音楽の理論の助けをもらいながら表現していく学問なのです。
その音楽教員が教育学部音楽科、音大もしくは教育大学のどちらの教育・研究機関を卒業されたかを私は知りませんが、ただその教員は音楽・音楽教育に関して常に正しく学び、研究し、もっと謙虚な姿勢で音楽指導に当たるべきであると私は思うのです。
音楽教員…

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