先日、行ってきた早稲田大学のイタリア研究所のイタリア研究の例会で少し気になったことがありました。
それは議論の方法と日本語の使用方法についてです。
研究においての議論は、常に客観的な事実と所見で構成されなければならないと私は考えています。ただ今回の例会では、ある研究者が発表をしている研究者の論文における日本語の言語の使い方について指摘をした際に、客観的事実を示さず、主観的所見でのみ指摘をしたのです。どんなに単純で、周知の事実であったとしても、議論する場合はしっかりと客観的事実を示して、意見を述べるべきです。
また他にも、ある他の研究者も言語の使い方(日本語)に関して指摘をすることがあったのですが、「定義をする時」と「結果を示す時」の両方に使われる動詞について、発表している研究者の論文を読みかぎりでは後者のほうで使用するのが正しいと私は思ったのですが、指摘していた人物は前者のほうでしか使用しないと指摘していました。例も挙げていたのですが、その例は適切ではないと私は感じました。
百歩譲って、イタリア文化・言語の研究者たちであり、日本語に関することは専門分野ではないので、意味、使用方法、訳し方などの多少の取り間違えは仕方のないことだと思うのですが…。
もっと謙虚に、そして確実な学識が大切だなと改めて感じました。😉✨✨🎶🎶