テノール…バリトン???????(テノールの歴史2)

16世紀の中頃、テノールは役割的にとても地位の低い声種になっていました。その当時の理論家、ハインリッヒ・ロリスは「テノールに歌わせるのは恥ずかしいことであり、それはあまりにも普通の声なので、バスに歌わせるほうを好む人々がいる」と述べています。そして、テノールという声種の名前が消え、ナトゥラーレという名前になっていました。男声の大部分を占める、つまり男性の普通の歌声という意味です。
ナトゥラーレは、この時期の譜面から判断すると現在のテノールの特性とあまり一致せず、現在のバリトンの特性に似ているものでした。つまり、この時期のテノールはバリトンとバリトン的なテノールが混ざっていたと考えられます。バロックの香りが漂う時期にあって、あまりにもありふれた歌声だっだので、高い評価をうけることができませんでした。
この時期に、現在のテノールのような音域の歌声は不自然なコントラルティスタ(コントラテノール・アルトゥス)に分類されていました。別名はテノリーノ、テノレットとも言われていました。テノリーノ、テノレットはファルセット傾向を持つ非常に明るい男声を指す語です。この例として、16世紀のオクラツィオ・クレシェンティと17世紀のドン・マッテオ・メリッサが挙げられます。オクラツィオ・クレシェンティはコントラテノール・アルトゥスとしても、テノールとしても歌っていました。また、ドン・マッテオ・メリッサの歌声については、ノイブルクの大公ジョバンニ・バッティスタ・マッキが「彼がファルセットで歌えば、ソプラニスタ(カントゥス)、もしくコントラルティスタ(コントラテノール・アルトゥス)であり、一方自然の声で歌えば良きテノレットである」と述べています。
ただ、16世紀中頃のテノールはバリトンに近いものであり、現在のような優位なものではありませんでした。しかし、16世紀末期、テノールに重要な役割をゆだねることで、ヴィルトゥオーゾ的歌唱を推し進め、オペラの誕生にかかわるです。

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