教えるときと演奏するとき!!!!

音楽を教えるときと音楽をコンサートなどで演奏するとき、ピアノの弾き方や歌の歌い方などは全く違うと私は思うのです。なぜなら、教えるときは生徒の実力が向上するような奏法をしなくてはならないし、コンサートなどで演奏するときは観衆が満足するような奏法をしなくてはならないからです。つまり、それぞれ目的が違うのです。
生徒を教えるときは、その日に生徒に教えたいことを強調しながら見本を示したり、指導をしていきます。声楽を指導するときに、例えば、歌の言葉の子音に注目してもらいたいときは、言葉の子音だけにアクセントをつけながら歌ったり、反対に母音に注目してもらいたいときは言葉の子音をすべて発音しないで歌ったりもします。また、その両方をリズム練習による音読をしたりもします(音程をつけずにリズムだけの言葉の発音練習)。ピアノの指導のときも同じです。例えば、第一主題を明確に示して奏でてもらいたいとき、先生は第一主題だけをフォルテで、他の音はピアニッシモで弾き、見本を示します。また、あるテクニックを教えたいときはそのテクニックを必要以上に強調するのです。例えばフォルテの奏法を教えたいと思ったときに、必要以上に強く弾き、フォルテの効果を体感してもらうのです。つまり、大げさに見本をやってみせるのです。また、時には悪い見本や失敗事例も示すのです。そのままの良くない奏法をしていると良い結果は導き出せないことを理解させるためにそのような見本をするのです。ちょっとした雑談ですが、私のイタリアの声楽の恩師(ミラノ・スカラ座歌手)は良い見本と悪い見本をよく示してくれたのですが、どちらも素晴らしい歌声だったので、やはりスカラ座歌手はすごいなと感服したのを記憶しています。話は戻って、最後に導き出される結果の完成されたものを示すときでも、生徒が教わった理論が正確に理解できるように示さなくてはならないので、コンサートなどで演奏する奏法とは違ってきます。つまり、生徒に教えるときは演奏するのではなく、見本を示すというわけです。
コンサートなどで演奏するときは、その会場の音の共鳴の仕方やその日の観客の雰囲気や演奏会の進行に様子などによって奏法を考えていきます。例えば、舞台の前方に立ったほうが音の共鳴の仕方がいいのであれば、その場所でどのように演奏するかを考えたり、会場の残響が長いのであれば、どのようにその長い残響を生かすのかを考えるのです。その会場で観客が満足するための奏法の選択をするのです。そして、観客が演奏披露として納得する完成されたものを常に提供するのです。これこそが演奏なのです。
優れた音楽家は見本を示すことと演奏することを巧みに使い分けていると思います。このように音楽を奏すると言っても多くの違いがあるのです。
音楽を奏することが、ただ楽譜に書かれていることを音に変えるだけであれば、それはコンピュータにプログラムして演奏したほうが人よりも正確に演奏してくれるでしょう。しかし人は感動はしません。なぜなら、人が演奏するとき、人の心に寄り添いながら演奏するからです。人の演奏はまるで海の波のようなものです。ある一定の規則があるのですが、決してすべて同じ規則ではないということです。つまり、ある一定の規則を持ちながら、自由自在に変化させて演奏するのです。
音楽にかかわる人たちには、もっと音楽のことをしっかりと理解してもらいたいと感じています。音楽と違う分野から音楽の分野にかかわるときに、きちんと音楽についての造詣を深めなくてはなりません。
本当の意味で音楽を含めた文化を理解しなければ、いつまでも日本は文化後進国のままのような気がします。

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