バロック音楽への旅が始まります。
イタリア歌劇の流れはイタリア以外の国にも広がりを見せました。
その1つ国がフランスです。フランスにはイタリア歌劇が来る前に、フィレンツェのメディチ家のマグリットがフランスのジョアユー公のもとにお嫁に行く際に、婚礼を祝うために作られた“王妃のバレエ・コミック”という総合舞台芸術がありました。これは一貫した筋書きを基に、舞踊、音楽、声楽、朗読などが上演されるものでした。この基盤の上に17世紀頃、イタリア歌劇の手法が取り込まれていきました。そして、17世紀後半にフランス歌劇が成立したのです。その立役者はリュリでした。
リュリはフィレンツェ生まれのイタリア人で17世紀半ばころにフランスに移り住み、フランスに帰化し王室楽長になりました。彼は初め、劇作家のモリエールと一緒に、喜劇と舞踊を組み合わせたコメディ・バレエというものを作っていました。しかし、1670年に本格的なフランス歌劇の創作に乗り出すのでした。リュリの歌劇はフランス語の抑揚を生かし、音楽を言葉に従わせる作曲をしました。オーケストラの使用も大変長けていて、フランス式序曲を創始し、器楽の分野に大変影響を与えました。
また、“王妃のバレエ・コミック”の中の舞踊が独立し、宮廷バレエになりました。
このように1人のイタリア人によって、イタリア歌劇とフランスの舞台音楽が融合されたフランス歌劇は成立したのですね。
非常に興味深いですね。それではまた次回、ciao ciao!!😃😉😊!!
ミニ音楽史5!!!!

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