言語学的観点から…!!!!

私はイタリア語という語学についても研究しているので、普段使う母国語(日本語)にも常に注意を払うように心掛けています。それで、日本語の中で嫌いな言い回しがあります。それは「私は(誰に)~してやった、私は(誰に)~してあげた」という言い回しです。
この言い回しは人に対して失礼極まりなく、失敬な人物であります。なぜなら、この世の中は、それぞれの人がそれぞれの立場でしっかりと活動し、お互いに助け合って生活をしています。この言い回しはそれらを無視して自分だけの立場が他の人よりも上で、自分だけが偉く、自分だけが世の中に役立っていると考えている表れであると、私は考えます。また、常に必要以上の人から見返りを期待し、求めているのです。
人のために何かをするときは、始めにその人の役に立ちたいと思って行います。その真摯な姿勢が人に感銘を与えてます。そして、学識のある人であれば、その人の真摯な行動・言動に自然とそれ相応の行いで答えてくれるのです。
それに、自分がその人に役に立っていると思っても、相手からすれば有難迷惑なこともありますし、役に立ったといってもその人にどれ程の度合いで役に立ったかなど自分では知ることはできません。つまり、この言い回しを使う人物は高慢で傲慢でエゴイズムな人物であります。また、本当に人のために役立つことをしたことがない人物ともいえるような気がします。なぜなら、このような人物のまわりには、知識と教養を兼ね備えた良識のある人々はいないだろうし、人の助言も分からないような学習能力のない人物と考えられるからです。
様々な人の立場や自分の立場などを理解できていない学識のない人物であり、高等で高級な知識と教養のない人物でもあります。
この言い回し「私は(誰に)~してやった、私は(誰に)~してあげた」を使っている人は無知、無能、無学で、つまり粗野な表現をしてしまえば「大馬鹿者」ということです。
言語を研究している者として、言葉は言霊ということを肝に銘じたいです。😃😉😊✨✨✨✨

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