時々、学問の根本を日常に生かすためにはどうしたらよいのかと考えることがあります。おそらく、「学校で勉強したりする数学・理科・歴史など、様々な教科は世の中に出てから役には立たない」と思っている方もいると思います。確かに学問の根本を知らなくてはそういう風に考えてしまうかもしれないのです。また、例えば、「英語の通訳者になるのであれば、英語の勉強は役に立つとか、数学者になるには数学の勉強が必要だとか、科学者になるためには理科の勉強が不可欠だ」と考えて、学校の勉強は世の中に出てから一部の人たちに役立っていると考える人もいると思います。確かにこの考え方も正しい考え方の1つだと思います。
それでは身近なところで学問の根本を考えていきたいと思います。例えば、今大学受験をしようとしたときに受験する大学の受験科目を調べます。受験科目の必修科目が英語・国語(配点それぞれ200点)、選択科目が数学・理科・社会(配点それぞれ100点)だとします。そして、数学が得意科目で、英語と国語はそれほど得意ではないとします。心理的には自分の得意科目で点数をたくさん取りたいと考えます。しかし、それではこの人の場合は高得点を狙えない可能性があります。例えば、得意な科目を中心に得点を取りにいき、数学を100点、英語100点、国語100点となったとしましょう、そうすると合計300点です。しかし、ここであまり得意でない英語を中心に得点を取りにいったら、数学100点、英語180点、国語100点となったとしましょう、そうすると合計380点となります。この後者のほうが学問の根本を生かしきれていると考えられます。それでは、もう少し身近なところで考えます。例えば、生活をしている上では、支払わなくてはいけないお金と支払わなくてもいいお金というものが発生すると思います。もし支払わなくてもいいお金、例えば自分の趣味のお金を優先的に生活の中で費やしてしまったら、支払わなくてはいけないお金を支払えなくなり、生活がしていけません。これは学問の根本を生かしてはいないということです。
学問の根本は、情報収集をし(新しい知識を得る)、世の中の状況と自分の置かれている状況などを考え、得た情報の取捨選択をして、自分の活動に生かしていくことにあるのです。上記で上げた大学受験の例は、自分が数学が得意であっても、まず大学側が求めているのは語学能力の高い人物であるということ、そして、配点も語学のほうが高いのであれば、そちらを優先的に得点できるようにすれば、大学側の求めている人物にも当てはまるし、自分も望んだ大学に通えるということです。また、必修科目はどんなことがあっても避けられない科目です。それに数学はどんなに頑張っても100点より高い点数が取れません。つまり、やらなくてはいけないことはしっかりやって、その上で自分のやりたいことをするということです。これは次に例に挙げた金銭の話でも同じだと考えられます。
また、学校は非常にいい練習の場になるのと考えます。なぜなら、英語・国語・数学・社会・理科以外にも音楽・美術・体育・技術・家庭科・保健など様々な情報があり、その中で学問の根本を生かし、自分の活動に生かせるからです。世の中に出れば、情報は学校のように無条件で与えられることはないと感じています。なぜなら、世の中で一番高価なものは情報だからです。「情報が一番高価???」と思った方がおられるかもしれませんが、情報なくして何も行動はできせん。何か活動するきっかけになるものは情報です。情報収集はとても苦労が伴うものです。日本という国は情報を得ようとすれば安易に手にはいる国です。そういうのに慣れてしまうと学問の根本も忘れてしまいがちになってしまいます。
このように考えると学問の根本を生かして様々な分野を探索・探求してみたくなるのでないのでしょうか…😊😃😉😃